「強敵との戦いを覚悟していたのに、『あへなく』一撃で倒してしまい拍子抜けしたように、この言葉は期待外れの虚しさを表します」
📖 意味と用法
あへなし は、ク活用の形容詞で、「期待外れだ」「どうしようもない」といった意味を表す重要な古文単語です。多くの場合、落胆や無力感を伴います。
- 【期待外れ・落胆】あっけない、期待外れだ、はりあいがない、手ごたえがない: 期待していたほどの成果や反応がなく、拍子抜けするさま。努力や期待が無駄になったと感じる状況で使われます。
- 【無力・絶望】どうしようもない、どうにもならない、仕方がない: 事態に対して何も対処できず、無力感や諦めの気持ちを抱くさまを表します。
- 【容易・即時】(連用形「あへなく」の形で副詞的に)たやすく、すぐに、あっという間に: 物事が抵抗なく、簡単に行われたり終わったりする様子を示します。特に人の死や敗北など、予期せぬ早さで訪れる結末に使われることが多いです。
期待外れ、手ごたえのなさ、無力感、あっけなさがキーワードです。「敢ふ(あふ=堪える、成し遂げる)」が「なし」と否定される形と捉えると理解しやすいでしょう。
期待外れ・落胆 の例
力及ばずして、あへなき心地す。(徒然草)
(力が及ばなくて、はりあいのない気持ちがする。)
どうしようもない の例
人の世の中は、あへなきものなり。(方丈記)
(人の世の中というものは、どうしようもないものである。)
(副詞的)たやすく・すぐに の例
花はあへなく散りぬ。(古今和歌集)
(花はあっけなく散ってしまった。)
🕰️ 語源と歴史
「あへなし」の語源は、動詞「敢ふ(あふ)」の未然形「あへ」に、打消の助動詞「ず」の古い連用形「な」(あるいは打消の意を表す接頭語「な」)、そして形容詞を作る接尾語「し」が付いたものとされています。「敢ふ」には「堪える」「最後までやり遂げる」「期待に応える」「張り合う」といった意味があります。
これが否定されることで、「堪えられないほどだ」「期待に応えられない」といった原義から、「期待外れだ」「はりあいがない」「どうしようもない」といった意味へと発展しました。また、抵抗や困難がないさまから「たやすく」「すぐに」という意味も生じました。
平安時代の文学作品において、人生の無常観や、努力しても報われない状況、予期せぬ出来事に対する虚しさなどを表現するのに用いられました。
📝 活用形と派生語
「あへなし」の活用(形容詞ク活用)
活用形 | 語形 | 接続 |
---|---|---|
未然形 | あへなく | (あら)ず |
連用形 | あへなく | て、なり、他の用言 |
連用形(音便) | あへなう | て、ござる |
終止形 | あへなし | 言い切り |
連体形 | あへなき | 体言、こと、の |
已然形 | あへなけれ | ば、ども |
命令形 | (あへなかれ) | (まれ) |
※連用形「あへなう」はウ音便化した形です。
派生語
- あへなさ (名詞) – あっけなさ、はりあいのなさ、どうしようもなさ
世のあへなさを嘆く。(徒然草)
(世の中のどうしようもなさを嘆く。)
関連語
- 敢ふ(あふ)(動詞・ハ行下二段) – 耐える、最後までやり遂げる、期待に応える、張り合う
霜にあへず枯るる草もあり。(古今和歌集)
(霜に耐えられず枯れる草もある。)
🔄 類義語
あっけない・期待外れだ
どうしようもない
※「はかなし」は頼りない、むなしい、「あぢきなし」は道理に合わない、つまらない、といったニュアンスも持ちます。
💬 現代語との関連
「あへなし」に直接一対一で対応する現代語は少ないですが、以下のような表現が意味合いとして近くなります。
特に「あっけない」は「あへなし」の主要な意味とよく合致します。文脈によってこれらの言葉を使い分けます。
🗣️ 実践的な例文(古文)
敵はあへなく逃げ去りぬ。(平家物語)
【訳】敵はあっけなく(たやすく)逃げ去ってしまった。
命あへなしと聞きしかど、今は頼み少なし。(源氏物語・夕顔)
【訳】命は(はかなく)あっけないと聞いていたけれど、(実際にそうなってみると)今は頼りとするものが少ない(どうしようもない気持ちだ)。
何事も思ふにかなはぬことの多かるこそ、あへなけれ。(徒然草)
【訳】何事も思うようにならないことが多いのが、実にはりあいがないことだ。
かくあへなき夢の心地して、涙も止まらず。(更級日記)
【訳】このように(はかなく)あっけない夢のような気持ちがして、涙も止まらない。
強き弓、良き矢なれども、鎧のうすければ、あへなく通りけり。(保元物語)
【訳】強い弓、良い矢ではあるけれども、鎧が薄いので、たやすく貫通してしまった。
📝 練習問題
傍線部の「あへなし」の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 待ちわびたるに、使の返事もあへなし。
解説:
待ちくたびれたのに、使者の返事も期待したものではなかった、または、たいしたものではなかった、という意味です。「期待外れだ」が適切です。
2. 露の命、あへなく消えなむは悲し。
解説:
はかない露のような命が、あっけなく消えてしまうのは悲しい、という意味です。「あへなく」は副詞的に用いられ、「あっけなく」「たやすく」と訳されます。
3. 勝負はあへなきものとこそ見え侍れ。
解説:
勝負というものは、結局のところ(人の力では)どうしようもないもの、あるいは、期待したほど手ごたえのないものだと見えます、という意味です。「どうしようもない」「はりあいがない」が適切です。
4. 頼みける人の心のあへなければ、今は誰をか頼まむ。
解説:
頼りにしていた人の心が頼りにならない(期待外れだ)ので、今は誰を頼りにしようか、いや誰も頼りにできない、という意味です。「頼りにならない(期待外れな)」が適切です。
5. 言葉も出でず、あへなく涙ぐみぬ。
解説:
言葉も出ず、どうしようもなく(こらえきれずに)涙ぐんでしまった、という意味です。「どうしようもなく」が適切です。ここでは、感情が抑えきれず、あっけなく涙が出てしまうニュアンスも含まれます。