「月明かりに照らされた姫君の『えんなる』姿に、誰もが心を奪われたように、この言葉は洗練された美しさと色香を表します」
📖 意味と用法
えんなり は、ナリ活用の形容動詞で、「優美で美しいさま」や「色っぽくあでやかなさま」を示す重要な古文単語です。和歌などの芸術作品に対しては「技巧的に優れている」という意味も持ちます。
- 【優美・上品】優美だ、上品で美しい、あでやかだ: 人の容姿や態度、物の様子が洗練されていて美しいさまを表します。
- 【色香・情愛】(男女間の情愛が)あでやかだ、なまめかしい、色っぽい: 特に男女間の色情に関わる、人を引き付けるような艶っぽさを表します。
- 【技巧・巧み】(和歌などが)技巧的に優れている、巧みだ、風情がある: 和歌や物語などが、表現や内容において巧みで趣深いことを示します。
「えんなり」が使われる対象や文脈によって、どのニュアンスの美しさや魅力を指しているのかを読み解くことが大切です。
優美・上品 の例
女君は、髪こぼれかかりて、いと白う肥え給へる様など、限りなくえんなり。(源氏物語・若菜上)
(奥様は、髪がこぼれかかって、たいそう白くふっくらしていらっしゃるご様子などが、この上なく優美でいらっしゃる。)
色香・情愛 の例
えんなる御消息などありければ、(堤中納言物語・はいずみ)
(なまめかしいお手紙などがあったので、)
技巧・巧み の例
この歌どもの中に、ことさらにえんなる歌は入れず。(俊頼髄脳)
(これらの歌の中に、特に技巧的に優れた歌は入れない。)
🕰️ 語源と歴史
「えんなり」の「えん」は、漢字の「艶」を当てることが一般的です。「艶」は、つややかで美しいさま、色っぽくあでやかなさまを表します。
元々は、視覚的な美しさや、異性を惹きつけるようななまめかしさを指す言葉でしたが、平安時代中期以降、和歌や物語などの文学作品に対しても用いられるようになりました。その場合、技巧が凝らされていて、洗練された美しさや深い趣があることを評価する言葉として使われました。
美しいもの、魅力的なもの全般に対する肯定的な評価語として、広く用いられた言葉です。
📝 活用形と派生語
「えんなり」の活用(形容動詞ナリ活用)
活用形 | 語形 | 接続 |
---|---|---|
未然形 | えんなら | ず |
連用形 | えんなり / えんに | て、けり、他の用言 |
終止形 | えんなり | 言い切り |
連体形 | えんなる | 体言、こと、の |
已然形 | えんなれ | ば、ども |
命令形 | えんなれ | (会話などで稀) |
※連用形「えんに」は撥音便ではありません。元々の語幹に「に」が付いた形です。
派生語
- えん(名詞) – 艶、美しさ、色っぽさ
えんある歌(枕草子)
(優美な歌) - えんず(動詞・サ変) – なまめかしく振る舞う、色めく
心ある人は物にえんぜず。(徒然草)
(分別のある人は何事にも浮ついた態度をとらない。)
🔄 類義語
優美だ・上品だ
あでやかだ・なまめかしい
技巧的に優れている
※「うるはし」は整った美しさ、きっちりとした美しさを表し、文脈により技巧的な意味も持ちます。
↔️ 反対の概念
「えんなり」が「優美で洗練されている」ことを示すため、直接的な一語の反対語は文脈によりますが、「無骨である」「下品である」といった状態が対極にあると考えられます。
🗣️ 実践的な例文(古文)
御容貌のえんなることは、申すに及ばず。(源氏物語・桐壺)
【訳】ご容貌が優美でいらっしゃることは、申し上げるまでもない。
なまめかしくえんなる声にて人知れず詠じ給へる、(源氏物語・夕顔)
【訳】なまめかしく色っぽい声で人知れずお詠みになっているのは、
この花の色、香、言葉に尽くしがたくえんなり。(古今和歌集序)
【訳】この花の色や香りは、言葉では言い尽くせないほど優美である。
ただ詞えんにして心も及ばず、古き歌に似ず。(古今和歌集仮名序)
【訳】ただ言葉が技巧的に優れているだけで趣も浅く、古い時代の歌とは似ていない。
かの物語は、えんなる所も多かりけり。(無名草子)
【訳】あの物語は、優美な(あるいは、なまめかしい/技巧的に優れた)箇所も多かった。
📝 練習問題
傍線部の「えんなり」の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 人の声もせず、ただ月のえんなるに、(更級日記)
解説:
月の美しさを表現しているので、「優美である」が適切です。「えんなるに」で「優美なので」または「優美なときに」と解釈できます。
2. かの人の書ける文、えんにはあらねど、心ばへ見ゆ。(源氏物語・手習)
解説:
手紙(文)の内容について、技巧や見た目の美しさよりも心情が表れていることを述べています。文脈から、手紙のなまめかしさや色っぽさについて言及していると考えられるため、「色っぽくは」が適切です。「えんに」は連用形。
3. 歌の様、ただえんなるを宗とす。(六百番歌合)
解説:
和歌のあり方について述べており、「宗とす(主要なものとする)」とあることから、和歌の技巧や表現の巧みさを指している「技巧的に優れた」が最も適切です。文脈によっては「優美な」も考えられますが、歌合の文脈では技巧が重視されることが多いです。
4. 女房の装束、唐綾の織物など、えんにこぼれたる心地して、(栄花物語・布引の滝)
解説:
女房の装束の美しさを描写しており、「こぼれ(あふれるほど美しいさま)」を修飾しています。このため、「優美に」が最も適切です。「えんに」は連用形。
5. 何事もえんなるはあはれなり。(徒然草)
解説:
「何事も」と広く一般的に述べており、その後に「あはれなり(しみじみと趣深い)」と続くことから、物事の洗練された美しさや風情を指す「優美である」が適切です。