「日の光が差し込んでも起きない人のように、『いぎたなし』は寝坊や熟睡の様子を描写します」
📖 意味と用法
いぎたなし は、ク活用の形容詞で、主な意味は「寝坊だ、眠り込んでいる、ぐっすり寝ている」です。朝になっても起きずに寝ている様子や、非常に深く眠っている状態を指します。多くの場合、寝坊に対する非難や呆れの気持ちを込めて用いられますが、単に熟睡している様子を表すこともあります。まれに「怠惰だ」という意味で使われることもあります。
寝坊・眠り込んでいる
暁まで伏せる人の朝寝は、なほいぎたなし。(枕草子)
(夜明けまで寝ている人の朝寝坊は、やはり寝坊で見苦しい。)
熟睡している様子
男ども皆いぎたなかりければ、音もせず。(今昔物語集)
(男たちは皆ぐっすり眠っていたので、物音もしない。)
🕰️ 語源と歴史
「いぎたなし」の語源は、「寝汚し(いぎたなし)」であるとする説が有力です。「寝(い)」は「寝る」こと、「汚し(きたなし)」は「汚い、見苦しい」という意味です。つまり、「寝ている様子が見苦しい」というニュアンスから、「寝坊だ」「だらしなく寝ている」という意味になったと考えられます。
別の説として、「寝(い)」+「甚し(いたし)」、つまり「ひどく寝ている」から来ているという考え方もあります。いずれにしても、睡眠に関する状態、特に寝坊や熟睡を表す言葉として定着しました。
📝 活用形と派生語
「いぎたなし」の活用(形容詞ク活用)
活用形 | 語形 | 接続 |
---|---|---|
未然形 | いぎたなく / いぎたなから | ず |
連用形 | いぎたなく / いぎたなう | て、なり、他の用言 |
終止形 | いぎたなし | 言い切り |
連体形 | いぎたなき | 体言、こと、の |
已然形 | いぎたなけれ | ば、ども |
命令形 | いぎたなく / いぎたなかれ | (会話などで稀) |
※連用形「いぎたなう」はウ音便化した形です。
関連語
- 寝(ぬ) (動詞・ナ行下二段) – 寝る
夜を明かしてぞ寝ざりける。(伊勢物語)
(夜を明かして寝なかった。) - 眠る(ねぶる) (動詞・ラ行四段) – 眠る
宵には寝ず、夜中ばかりに眠れば、(後略)(徒然草)
(宵には寝ないで、夜中ごろに眠るので、〜)
🔄 類義語
↔️ 反対の概念
寝坊や眠り込んでいる状態の反対は、「早起き」や「目が覚めている」状態です。
🗣️ 実践的な例文(古文)
暁まで伏せる人の、まいて見る甲斐ある朝景色を見ずして、夜を明かす、いぎたなき人の眠れる様なり。(枕草子)
【訳】夜明けまで寝ている人が、ましてや見る価値のある朝の景色を見ないで、夜を明かすのは、寝坊な人が眠っている様子である。
上は御覧じ過ぐして、いぎたなしとのみ思し召す。(源氏物語・若紫)
【訳】(光源氏は)ご覧になって見過ごしなさって、(若紫が起きないのを)ただもう寝坊だとばかりお思いになる。
怪しきまで空も見たまはぬさまにて、いぎたなく思し臥せる。(源氏物語・夕顔)
【訳】不思議なほど空もご覧にならない様子で、ぐっすり眠り込んでおられる。
暁には忘るる事も無き旅の宿に、いぎたなき有様を人に見えむも、(後略)(和泉式部日記)
【訳】夜明けには(起きるのを)忘れることもない旅の宿で、寝坊な様子を人に見られるようなのも、〜
起こせども目も覚まさでいといぎたなう寝入り給へる様なり。(源氏物語・若紫)
【訳】(人々が)起こすけれども目もお覚ましにならず、たいそうぐっすり寝入っていらっしゃる様子である。
📝 練習問題
傍線部の「いぎたなし」(またはその活用形)の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 日たけぬるまで寝たるこそ、若き内はさもあらめど、八十ぢに近き老人の身として、公私煩はしき事なく、暇ある日過ごす身の、いぎたなく寝ふして、(後略)(徒然草)
解説:
日が(高く)なってしまうまで寝ていることについて、特に暇な老人がそうするのは「寝坊して(だらしなく)」寝ていると見なされる、という文脈です。「寝坊して」が適切です。
2. 子どもあまた寝させ給ひて、大殿油まゐりて、御物語など聞こえ給ふ。夜ふくるまで宮は起きゐ給へり。人々は、皆いぎたなくなりにけり。(枕草子)
解説:
夜が更けるまで宮(中宮定子)は起きていらっしゃるが、周りの女房たちは皆「眠り込んで」しまった、という状況です。「眠り込んで」が適切です。
3. 人々起き騒ぐ音に、少し聞こしめし開けたれど、なほいぎたなしと思して、(後略)(源氏物語・少女)
解説:
人々が起きて騒ぐ音に少し目をお覚ましになったけれど、やはりまだ「寝坊だ(眠り込んでいる)」とお思いになって、〜、という状況です。「寝坊だ(眠り込んでいる)」が適切です。
4. かくて人も寝ぬ夜あり。鳥の鳴くまで物語して、いぎたなう寝たる朝は、(後略)(枕草子)
解説:
鳥が鳴く(=夜が明ける)まで話をして、「寝坊して(ぐっすり)」寝てしまった朝は、〜、という状況です。連用形ウ音便「いぎたなう」が動詞「寝たる」を修飾しています。
5. 君はいといぎたなしと見て過ぐし給ふ。(源氏物語・空蝉)
解説:
(光源氏が空蝉の様子を見て)あなたはたいそう「寝坊だ」と見て(判断して)通り過ぎなさる、という場面です。「寝坊だ」が適切です。