「名前を呼ばれて『はい』と応じるように、『いらふ』は問いかけや呼びかけに対する直接的な言葉の応答を示します」
📖 意味と用法
いらふ は、ハ行下二段活用の動詞で、基本的な意味は「答える、返事をする」です。人からの質問、呼びかけ、問いかけなどに対して言葉で応答する行為全般を指します。現代語の「答える」に相当しますが、やや古風な響きを持つ言葉です。和歌の贈答などでもよく用いられます。応答、返答、対話、コミュニケーションが中心となる場面で使われます。
問いに対する答え
問へどいらへず。(伊勢物語)
(尋ねるけれど答えない。)
呼びかけへの返事
「誰そ」と言へば、「我なり」といらふ。(竹取物語)
(「誰だ」と言うと、「私だ」と答える。)
🕰️ 語源と歴史
「いらふ」の語源にはいくつかの説がありますが、「言(い)」+「合ふ(あふ)」が変化したものとする説が有力です。「言」は言葉、「合ふ」はぴったり合う、応じるという意味です。つまり、相手の言葉(問いかけ)に対して、自分の言葉がぴったりと合わさる、応じる、というイメージから「答える」「返事をする」という意味になったと考えられます。
また、「入り合ふ(いりあふ)」が変化したという説もあります。相手の問いかけの中に自分の答えが入っていく、というニュアンスです。いずれにしても、相手からの働きかけに対する応答を示す基本的な動詞として、古くから使われてきました。
📝 活用形と派生語
「いらふ」の活用(ハ行下二段活用)
活用形 | 語形 | 接続 |
---|---|---|
未然形 | いらへ | ず、む、むず、ば |
連用形 | いらへ | て、けり、き、つ、ぬ、たり |
終止形 | いらふ | 言い切り、らむ、べし、めり、らし |
連体形 | いらふる | 体言、とき、こと、なり(伝聞推定) |
已然形 | いらふれ | ば、ども |
命令形 | いらへよ | 命令 |
関連語
- いらへ (名詞) – 返事、答え
御いらへもえ聞こえず。(源氏物語)
(お返事も申し上げることができない。)
🔄 類義語
※「こたふ」が最も一般的。「いらふ」はやや改まった場面や和歌などで使われる傾向があります。「返す」は特に返歌や手紙の返信に、「申す」は謙譲語として使われます。
↔️ 反対の概念
「答える」ことの反対は「問いかける」ことや「返事をしない」ことです。
🗣️ 実践的な例文(古文)
男、「名は何とか言ふ」と問ふ。女、いらへもせず。(伊勢物語)
【訳】男が、「名前は何と言うのか」と尋ねる。女は、返事もしない。
歌を返し聞こえむとすれど、よき歌思ひ浮かばねば、えいらへず。(源氏物語)
【訳】(相手の歌に対して)返歌を申し上げようとするけれど、良い歌が思い浮かばないので、答えることができない。
「悪しき事ぞ」と法師言へば、「善き事なり」といらふ。(宇治拾遺物語)
【訳】「悪いことだ」と法師が言うと、「良いことだ」と答える。
「尼ありや」と問ひ給ふに、物の後より、「侍ふ」といらふ声す。(更級日記)
【訳】「尼はいるか」とお尋ねになると、物の後ろから、「おります」と答える声がする。
ただ一度もいらへむ事はあらじ。(枕草子)
【訳】ただの一度も返事をすることはないだろう。
📝 練習問題
傍線部の「いらふ」(またはその活用形)の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 人の呼ぶに、常はいらへもし給はぬに、今宵は急ぎ出で給ひぬ。(源氏物語)
解説:
人が呼ぶのに、普段は「返事」もなさらないのに、今夜は急いで出ていらっしゃった、という意味です。連用形「いらへ」が使われています。
2. 童べ門に出でて、「誰そ」と問へば、「これ」といらふる声す。(和泉式部日記)
解説:
子供が門に出て「誰か」と尋ねると、「これ(=私だ)」と「答える」声がする、という意味です。連体形「いらふる」が名詞「声」に接続しています。
3. 文ありし方を見て音もせねば、いらへもせぬにやあらむと思ふ。(和泉式部日記)
解説:
手紙があった方を見て(待っても)音沙汰がないので、「返事」もしないのだろうかと思う、という意味です。名詞の「いらへ」が使われています。
4. 歌にていらへむは遅かるべしとて、(後略)(大和物語)
解説:
歌で「答える」のは(時間がかかって)遅くなるだろうと思って、〜、という意味です。未然形「いらへ」+推量の助動詞「む」の形です。
5. 度々たび問へども、つひにいらふる者なし。(今昔物語集)
解説:
何度も尋ねるけれども、とうとう「答える」者はいない、という意味です。連体形「いらふる」が体言「者」に接続しています。