「美しい花を無情に折り取る人のように、『こころなき』振る舞いは、思慮や風情、思いやりの欠如を表します」
📖 意味と用法
こころなし は、ク活用の形容詞で、「心」が欠けている状態を指し、文脈によって「思慮分別がない」「情趣を解さない」「思いやりがない」など、様々な否定的な内面性を表す重要な古文単語です。
- 【無分別・愚鈍】思慮分別がない、物の道理を解さない、愚かだ: 物事を深く考えず、道理をわきまえないさま。理性や知性が欠けていることを示します。
- 【無風流・無感動】情趣を解さない、風流心がない、趣がわからない: 自然の美しさや芸術の良さが分からず、感動する心を持たないさま。
- 【薄情・無慈悲】思いやりがない、薄情だ、情けがない、配慮がない: 他人の気持ちを察することができず、冷淡で親切心がないさま。
- 【非情の物】(草木などに対して)心を持たないもの、情趣を解さないもの: 人間のように感情や意識を持たない草木などを指して言うことがあります。この場合、必ずしも悪い意味ではなく、客観的な描写として使われます。
無分別、無風流、薄情、情趣の欠如がキーワードです。対義語「こころあり」と比較することで、意味がより明確になります。
思慮分別がない の例
こころなき人の言ひ散らすは、いと聞き苦し。(徒然草)
(思慮分別がない人が言いふらすのは、たいそう聞き苦しい。)
情趣を解さない の例
花の色をも知らぬこころなき身なれば。(古今和歌集)
(花の色(の美しさや情趣)をも理解しない風流心のない身なので。)
思いやりがない の例
こころなき人の仕業に涙す。(源氏物語)
(思いやりのない人の仕打ちに涙する。)
🕰️ 語源と歴史
「こころなし」は、名詞「心(こころ)」に、それが「ない」ことを示す形容詞の語尾「なし」が付いた形です。「心」が指す「思慮分別」「情趣を解する能力」「他人への思いやり」などが欠如している状態を表します。
対義語である「こころあり」が肯定的な人間性や感性を称賛する言葉であるのに対し、「こころなし」はそれらが欠けていることに対する非難や嘆きのニュアンスを伴います。特に平安時代の貴族社会では、風流を解さないことや配慮に欠けることは、人間としての評価を下げる要因とされました。
また、人間以外の草木など、本来感情や意識を持たないものに対して「こころなきもの」として使われることもあり、この場合は必ずしも非難の意味ではなく、「情を持たないもの」という客観的な意味合いで用いられることもあります(例:西行法師の有名な和歌「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」に対する返歌「花とこそ見る折からの名は立てれ 心なき身もあはれを知るぞ」のように、桜自身を「心なき身」と表現するが、これは桜が人間のような心を持たないという意味)。
📝 活用形と派生語
「こころなし」の活用(形容詞ク活用)
活用形 | 語形 | 接続例 |
---|---|---|
未然形 | こころなく | (あら)ず |
連用形 | こころなく | て、なり、他の用言 |
連用形(音便) | こころなう | て、ござる |
終止形 | こころなし | 言い切り |
連体形 | こころなき | 人、時、こと |
已然形 | こころなけれ | ば、ども |
命令形 | (こころなかれ) | (まれ) |
※連用形「こころなう」はウ音便化した形です。
派生語
- こころなさ (名詞) – 思慮分別がないこと、無風流であること、薄情であること
そのこころなさに呆るるばかりなり。(枕草子)
(その無風流さ(思慮のなさ)に呆れるばかりである。)
対義語
- こころあり (動詞ラ行変格活用) – 思慮分別がある、情趣を解する、思いやりがある
こころある人の振舞は美し。(徒然草)
(思慮分別のある人の振る舞いは立派だ。)
🔄 類義語
思慮分別がない・愚かだ
情趣を解さない・無風流だ
思いやりがない・薄情だ
💬 現代語との関連
現代語の「心ない(行動、言葉など)」は、古語の「こころなし」が持つ「思いやりがない」「配慮がない」という意味合いを強く引き継いでいます。「情趣を解さない」「思慮分別がない」といったニュアンスは、現代語ではやや薄れていますが、文脈によっては感じ取れます。
古語のニュアンスに近い現代語表現としては以下のようなものがあります。
🗣️ 実践的な例文(古文)
こころなき人は、あはれなることも知らず。(徒然草)
【訳】情趣を解さない人は、しみじみとした趣のあることも理解しない。
秋来きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる こころなき草木も時を知る。(古今和歌集)
【訳】秋が来たと目にははっきり見えないけれども、風の音にはっと気づかされることだ。(人間のような)心を持たない草木でさえ(秋という)時を知るのだなあ。
こころなき人のそしりをも憚らず。(源氏物語)
【訳】思慮分別がない(あるいは、思いやりのない)人の非難をも気にかけない。
いかで月の出でむことを待つに、こころなく更けゆく空の気色。(枕草子)
【訳】なんとかして月が出るだろうことを待つのに、(月はなかなか出ず、こちらの気持ちも構わずに)無情にも更けていく空の様子よ。
返す返すこころなき世の習ひかな。(平家物語)
【訳】本当に情けがない(道理を解さない)世の中の習わしだなあ。
📝 練習問題
傍線部の「こころなし」の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 梅の花の香を楽しまぬは、こころなき人なり。
解説:
梅の花の香りを楽しめないのは、風流心がない人だ、という意味です。「情趣を解さない」が適切です。
2. 人の難儀を見て笑ふは、こころなき振る舞ひなり。
解説:
人の困っている様子を見て笑うのは、情けがない振る舞いだ、という意味です。「思いやりがない」が適切です。
3. 深き夜の月の光にも、こころなき雲のかかりけるかな。
解説:
美しい月夜なのに、それをさえぎる雲は風情を解さないものだ(無粋だ)、という意味です。雲を擬人化して、情趣を理解しないものとして表現しています。
4. いかに教ふとも、こころなき者には通じ難し。
解説:
どんなに教えても、物の道理を理解しない者には通じにくい、という意味です。「物の道理を解さない」や「思慮分別がない」が適切です。
5. 鳥や獣だに子を愛す。ましてこころなき親のあらむや。
解説:
鳥や獣でさえ子を愛する。ましてや薄情な(思いやりのない)親がいるだろうか、いやいるはずがない、という意味です。ここでは子に対する愛情がないことを指し、「薄情な(思いやりのない)」が適切です。