「友の苦境を見て『こころぐるし』と感じるように、この言葉は他者への深い同情や、自身の心の痛みを表します」
📖 意味と用法
こころぐるし は、シク活用の形容詞で、文字通り「心が苦しい」状態を表す言葉です。この心の苦しみが、他者に向かう場合と自分自身に向かう場合とで、意味合いが分かれます。
- 【気の毒だ・かわいそうだ】(他者に対して): 他の人の不幸な境遇や苦しんでいる様子を見て、こちらも心が痛む、気の毒に思う、かわいそうに思うという同情の気持ちを表します。
- 【気がかりだ・心配だ】(対象や状況に対して): 何か物事の成り行きや、人の安否などが気になって心が落ち着かない、心配であるという気持ちを表します。
- 【つらい・切ない】(自分自身について): 自分自身が精神的に苦痛を感じる、つらい、切ない、悩ましいという気持ちを表します。
「こころぐるし」が使われている場合、誰の心が苦しいのか、そしてその苦しみが何に向けられているのか(同情なのか、心配なのか、自身の苦痛なのか)を文脈から判断することが大切です。
気の毒だ・かわいそうだの例
かくわびしきめを見るぞこころぐるしき。(源氏物語)
(このようなつらい目を見るのは(見る側にとって)気の毒なことだ。)
気がかりだ・心配だの例
君が行方のこころぐるしきに、夜も寝られず。(伊勢物語)
(あなたの行く末が気がかりなので、夜も眠れない。)
つらい・切ないの例
物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る。こころぐるし。(後撰和歌集)
(物思いをすると沢の蛍も我が身からさまよい出る魂かと見えることよ。つらい。)
🕰️ 語源と歴史
「こころぐるし」の語源は、名詞「心(こころ)」に形容詞「苦し(くるし)」が付いた複合形容詞です。文字通り「心が苦しい」という意味が基本となります。
この「心の苦しさ」は、まず自分自身のつらさや切なさを表すのに用いられました。そこから、他者の苦しみや困難な状況を見聞きした際に、自分の心が同様に苦しくなる、つまり「気の毒だ」「かわいそうだ」という同情の念を表すようになりました。また、対象の状況がどうなるかと案じて心が苦しくなることから、「気がかりだ」「心配だ」という意味でも使われるようになりました。
平安時代から現代に至るまで、人間の内面的な苦痛や他者への共感を表す語として広く用いられています。
📝 活用形と派生語
「こころぐるし」の活用(形容詞シク活用)
活用形 | 語形 | 接続 |
---|---|---|
未然形 | こころぐるしから | ず |
連用形 | こころぐるしく / こころぐるしう | て、なり、他の用言 |
終止形 | こころぐるし | 言い切り |
連体形 | こころぐるしき | 体言、こと、の |
已然形 | こころぐるしけれ | ば、ども |
命令形 | こころぐるしかれ | (会話などで稀) |
※連用形「こころぐるしう」はウ音便化した形です。
派生語
- こころぐるしさ (名詞) – 気の毒なこと、つらいこと、心配なこと
親のこころぐるしさ、いかばかりならむ。(源氏物語)
(親の心配は、どれほどであろうか。) - こころぐるしげなり (形容動詞ナリ活用) – 気の毒そうな様子だ、つらそうだ、心配そうな様子だ
🔄 類義語
気の毒だ・かわいそうだ
気がかりだ・心配だ
つらい・切ない
※「いとほし」は見ていられないほど気の毒、「うしろめたし」は後に心配事が残る感じ、「うし」は憂鬱でつらい、などニュアンスが異なります。
↔️ 反対の概念
「こころぐるし」が心の苦しさや同情を表すため、心が安らかであること、楽しいこと、気楽であることなどが対極にあると考えられます。
🗣️ 実践的な例文(古文)
幼き人の乳母を恋ひて泣くは、いとこころぐるし。(枕草子)
【訳】幼い子が乳母を恋しがって泣くのは、たいそう気の毒だ(かわいそうだ)。
わが身ひとつのゆくへも知らぬ世に、人のうへの事を思ふぞこころぐるしき。(源氏物語・須磨)
【訳】自分一人の行く末も分からないこの世で、(他人の)身の上を思うのは(自分にとって)つらいことだ。
あはれ、いかにわびしくこころぐるしからむ。(更級日記)
【訳】ああ、どんなに心細くつらいことであろうか。
ただ一人かくてのみ籠もり給へるを、いとこころぐるしう思ひ聞こえ給ふ。(源氏物語・夕顔)
【訳】(姫君が)ただ一人でこのようにばかり引きこもっていらっしゃるのを、たいそうお気の毒に思い申し上げなさる。
よき人の宮仕へするは、こころぐるしき事多かるべし。(徒然草)
【訳】身分の高い人が宮仕えをするのは、気がかりなこと(心配なこと)が多いだろう。
📝 練習問題
傍線部の「こころぐるし」の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 老いたる親の、物食はずして苦しむを見るは、いとこころぐるし。(今昔物語集)
解説:
年老いた親が食事もとらずに苦しんでいるのを見るのは、見る側にとって「気の毒だ」「かわいそうだ」という同情の気持ちを表します。
2. 遠き国に行く子のうへぞ、夜昼こころぐるしき。(和泉式部日記)
解説:
遠い国へ行く子供の身の上が、夜も昼も「こころぐるしき」とあります。これは、子供の安否や状況が「心配な」気持ちを表しています。
3. 思ふ人に忘られたるは、命も何にかはせむとさへおぼゆるぞ、こころぐるしき。(蜻蛉日記)
解説:
愛する人に忘れられることは、命も何になろうか(=生きている甲斐もない)とさえ思われるほど「こころぐるしき」とあります。これは話し手自身の深い悲しみや「つらい」気持ちを表しています。
4. かくばかり年ごろの人の、御心に違ひ奉りつるを、こころぐるしう思しめして、(源氏物語・葵)
解説:
長年の人が自分の意に背いたことを、「こころぐるしう思しめし」たとあります。これは、その裏切りや期待外れな行為に対して、話し手(ここでは光源氏)自身が「おつらく」お思いになった、または心を痛められたという意味です。
5. よその人だにこそ、かかるありさまはこころぐるしけれ。(枕草子)
解説:
「よその人だに(他人でさえ)」、このようなありさまは「こころぐるしけれ(心が痛むものだ、気の毒に思うものだ)」と述べています。他人の不幸な状況に対する同情の気持ちを表しています。