「月の光に照らされた庭の景色が『をかし』と感じられるように、この言葉は心に響く様々な魅力を表します」
📖 意味と用法
をかし は、シク活用の形容詞で、対象に知的な興味や美的関心をそそられ、心が惹きつけられる様子を表す重要な古文単語です。「あはれ」が情緒的・主観的な感動を表すのに対し、「をかし」はより客観的・知的な判断に基づく興味や魅力を指す傾向があります。
- 【趣・風情】趣がある、風情がある、興味深い: 自然の風景や物事の様子がしみじみと心に響き、関心を引くさま。
- 【美的魅力】美しい、かわいらしい、きれいだ: 人や物の見た目が魅力的であるさま。特に小さく愛らしいものに対しても使う。
- 【優越性】すばらしい、優れている、見事だ: 人の才能や技術、物の出来栄えなどが優れているさま。
- 【滑稽さ】滑稽だ、おかしい、面白い: 笑いを誘うような、こっけいなさま。
「をかし」は肯定的な意味で広く使われ、文脈に応じて何に対して心が惹かれているのか(趣、美しさ、優秀さ、滑稽さなど)を判断することが大切です。
趣・風情の例
虫の音、風の音、何となくをかし。(枕草子)
(虫の音や風の音など、何ということもなく趣がある。)
美的魅力の例
絵などもをかしう描かれたり。(源氏物語)
(絵なども美しく描かれている。)
優越性の例
その才もをかしきものかな。(徒然草)
(その才能もたいそう優れたものであるなあ。)
滑稽さの例
をかしきこと言ひて人を笑はす。(今昔物語集)
(滑稽なことを言って人を笑わせる。)
🕰️ 語源と歴史
「をかし」の語源については諸説ありますが、人を招き寄せる意の動詞「招く(をく)」の形容詞形とする説が有力です。対象が魅力的で、見る人の心を惹きつけ、近寄って見たい、関わりたいと思わせるようなニュアンスが元にあると考えられます。
また、感動詞「あなをかし(ああ、面白い)」の「をかし」から転じたという説や、「痴(おこ)」(愚か)に関連するという説(この場合は滑稽の意味と関連)などもあります。
平安時代の文学、特に『枕草子』では清少納言の美意識を表すキーワードとして頻繁に用いられ、知的で明るい情趣を表す語として定着しました。時代が下るにつれて、「滑稽だ」という意味も強まっていきました。
📝 活用形と派生語
「をかし」の活用(形容詞シク活用)
活用形 | 語形 | 接続 |
---|---|---|
未然形 | をかしくあら | ず |
連用形 | をかしく / をかしう | て、なり、他の用言 |
終止形 | をかし | 言い切り |
連体形 | をかしき | 体言、こと、の |
已然形 | をかしけれ | ば、ども |
命令形 | をかしかれ | (会話などで稀) |
※連用形「をかしう」はウ音便化した形です。未然形は「をかしから」の形もとります。
派生語
- をかしげなり (形容動詞ナリ活用) – 趣がある様子だ、美しそうだ、面白そうだ
をかしげなる童の出で来たる。(枕草子)
(かわいらしい様子の子供が出てきた。) - をかしみ (名詞) – 趣、美しさ、面白み
春は花のをかしみ。(古今和歌集仮名序)
(春は桜花の趣。)
🔄 類義語
趣がある・風情がある
美しい・かわいらしい
すばらしい・優れている
滑稽だ・面白い
※「あはれなり」は主観的・情緒的な感動、「おもしろし」は目の前がぱっと明るくなるような面白さ、「うつくし」は愛情を込めたかわいらしさなど、それぞれニュアンスが異なります。
↔️ 反対の概念
「をかし」が肯定的な魅力や興味を引く様子を表すのに対し、心が惹かれない、つまらない、不快であるといった状態が対極にあると考えられます。
🗣️ 実践的な例文(古文)
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、すこし明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる、をかし。(枕草子)
【訳】春は明け方がよい。だんだん白くなっていく山際が、少し明るくなって、紫がかっている雲が細くたなびいているのは、趣がある。
うつくしき顔に、髪いと長く、をかしげにて見ゆ。(源氏物語・若紫)
【訳】かわいらしい顔だちで、髪がたいそう長く、美しく見える。
笛をいとをかしく吹き澄まして、過ぎぬなり。(徒然草)
【訳】笛をたいそう見事に吹き澄まして、通り過ぎてしまったようだ。
すずろなる人の言も、我にあてはめて、「もし我がことか」と思ふぞをかしき。(方丈記)
【訳】何気ない他人の言葉も、自分に当てはめて、「ひょっとして自分のことか」と思うのは滑稽である。
絵に描ける楊貴妃の図は、いみじき絵師といへども、筆力つきて、実の花の色香には似ず。をかしと見るところもなし。(徒然草)
【訳】絵に描いた楊貴妃の図は、優れた絵師といっても、筆の力が尽きて、本物の花のような色香には似ていない。趣深いと見るところもない。
📝 練習問題
傍線部の「をかし」の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 木の葉に書き付けて、遣りたるも、いとをかし。(枕草子)
解説:
木の葉に手紙を書いて送るという行為について述べています。これは風流でしゃれた行為であり、「趣がある」と解釈するのが自然です。清少納言の美的感覚が表れています。
2. まみのけしき、いとをかしげにて、(源氏物語・桐壺)
解説:
「まみ(目元)」の様子について述べており、容貌の美しさを表す文脈です。「をかしげなり」は「美しい様子だ」「かわいらしい様子だ」という意味で使われます。
3. 手など習ひ給ふにも、いとをかしく書き給ふ。(栄花物語)
解説:
「手習ひ(文字の練習)」について、その書かれた文字が「をかしく」と評価されています。ここでは文字が優れている、見事であるという意味で「すばらしく」が適切です。
4. ただ人の言のやうにをかしう言ひなすもにくし。(枕草子)
解説:
人の言葉をまねて「をかしう言ひなす」とあり、その行為が「にくし(気に食わない)」と続いています。ここでは、人の言葉を滑稽に、あるいは興味を引くように言い立てるニュアンスで、「面白おかしく」が適切です。
5. 雪の降りたるは言ふべきにもあらず、月夜はさらなり、闇もなほ蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。(枕草子)
解説:
夏の夜の情景として、蛍が飛んでいる様子を描写しています。雪や月夜と同様に、闇夜に蛍が光る様子は風情があり、心惹かれるものであるため、「趣がある」が最も適切です。