けし(怪し・異し) (形容詞・ク活用)

①【怪し】不思議だ、気味が悪い ②【異し】異様だ、普通ではない、不都合だ ③(「けしうはあらず」で)悪くはない

通常とは異なる状態や、説明のつかない現象に対する感情を表す。文脈で漢字を使い分ける。

「闇夜に光る一つ目、常ならぬ言動。心がざわめく『けし』なるものとの遭遇」

📖 意味と用法

けし は、ク活用の形容詞で、何かが通常の状態と異なることに対する感情や評価を表します。「怪し」と「異し」の漢字が当てられますが、それぞれニュアンスが異なります。

  1. 【怪し】(あやし)
    • 不思議だ、神秘的だ: 理解を超えた現象や、説明のつかない出来事に対して使います。
      例:怪しき光、闇夜に現る。(不思議な光が、闇夜に現れる。)
    • 気味が悪い、不気味だ、変だ: 恐れや不安を感じさせるような異常な様子に使います。
      例:怪しきもののけに襲はる。(気味の悪い化け物に襲われる。)
  2. 【異し】(けし)
    • 異様だ、普通ではない、変だ: 一般的な状態や常識から外れている様子に使います。
      例:その振る舞ひ、まことにけし。(その振る舞いは、本当に異様だ。)
    • 不都合だ、よろしくない、けしからぬ: 良くない、あってはならないという意味で使います。しばしば強い非難の意を含みます。
      例:けしからぬ行ひを改めよ。(とんでもない行いを改めよ。)
  3. 【けしうはあらず】の形で
    • 悪くはない、まあまあだ: 「異様なほどではない」という控えめな肯定・評価を表します。
      例:この歌、けしうはあらず。(この歌は、そう悪くはない。)

「けし」という言葉が出てきたら、文脈から「怪しい」の不思議・不気味系なのか、「異し」の異様・不都合系なのか、あるいは「けしうはあらず」の形なのかを判断する必要があります。

「怪し」の例 (不思議・不気味)

かく人を驚かすは、いかなる鼠ぞと、怪しうおぼつかなく思ひける。(宇治拾遺物語)

(このように人を驚かすのは、どのような鼠かと、不思議で気味が悪く思った。)

「異し」の例 (異様・不都合)

かかることは、まことにけしきわざかな。(徒然草)

(このようなことは、本当に異様なことだなあ。)

「けしうはあらず」の例

わが心のままに、ゆかしくおぼゆる事をのみ、書き集めたるも、けしうはあらず。(更級日記)

(自分の心のままに、興味深く思われることばかりを書き集めたのも、そう悪くはない。)

🕰️ 語源と歴史

「けし」の語源については諸説あります。

「怪し」は、「気(け)」(目に見えない霊的なもの、雰囲気)が「著(しる)し」(はっきりしている)と解され、気のせいかと思うほど不思議な現象がはっきり現れる様や、気味が悪い様を表したという説があります。また、「気(け)+悪(あ)し」で気味が悪いという説も考えられます。

「異し」は、「事(けと)」(普通とは異なる事柄)が「著(しる)し」(はっきりしている)と解され、普通とは異なる事柄が明確である様、つまり異様さを表したとされます。ここから転じて、常軌を逸した行いに対して「不都合だ」「けしからぬ」という意味も持つようになりました。

古くは両者の区別が必ずしも明確でなかった可能性もありますが、時代が下るにつれて、文脈に応じて漢字を使い分ける意識が強まったと考えられます。「けしうはあらず」という表現は、この「異し」の「普通ではない」という意味合いが、「それほど変ではない→悪くはない」と転じたものです。

📝 活用形と派生語

「けし」の活用(形容詞ク活用)

活用形 語幹 語形 接続
未然形 は、あら(ず)
連用形 く / う て、なり、他の用言
終止形 言い切り
連体形 体言、こと、の
已然形 けれ ば、ども
命令形 かれ (会話などで稀)

※連用形「けしう」はウ音便化した形です。

派生語・関連語

  • けしう(怪しう・異しう) (連用形のウ音便)
    けしう物言ふ人かな。(変にものを言う人だなあ。)
  • けしげなり (形容動詞ナリ活用) – いかにも怪しそうな様子だ、異様な感じだ
    けしげなる岩屋ありけり。(いかにも怪しげな岩屋があった。)
  • けしからず (連語) – とんでもない、もってのほかだ
    けしからぬふるまひなり。(とんでもない振る舞いである。)

🔄 類義語

不思議だ・気味が悪い (「怪し」系)

あやし
ふしぎなり
うたてし

異様だ・普通ではない・不都合だ (「異し」系)

ことなり
けざやかなり
おかし

※「あやし」は「けし(怪し)」と意味が非常に近いですが、「身分が低い」「みすぼらしい」の意味も持ちます。「おかし」は「趣がある」のほか「風変わりだ」の意味で「けし(異し)」と通じることがあります。

↔️ 反対の概念

「けし」が「通常と異なる」ことを指すため、以下のような「普通である」「道理にかなっている」といった言葉が対照的です。

ただなり (普通だ、ありきたりだ)
なのめなり (平凡だ、並一通りだ)
ことわりなり (道理だ、もっともだ)

🗣️ 実践的な例文(古文)

1

けてかねこゑすれば、ひとたるにやと怪し。(徒然草)

【訳】夜が更けて鐘の音がするので、人が寝静まっているのだろうかと不思議に思う。

意味・ニュアンス: 怪し(不思議だ)
2

ただただならぬもの気配けはひして、いといと怪しければ、かどす。(源氏物語)

【訳】普通ではない者の気配がして、たいそう気味が悪いので、門を閉ざす。

意味・ニュアンス: 怪し(気味が悪い)
3

ひとぬすみたるは、けしきつみなり。(今昔物語集)

【訳】人の子を盗んだのは、異様な(=とんでもない)罪である。

意味・ニュアンス: 異し(異様だ、不都合だ)
4

あししろきよげなるが、たたみうへゆるは、けしうはあらず。(枕草子)

【訳】手も足も白く清らかな感じなのが、畳の上に見えるのは、そう悪くはない。

意味・ニュアンス: けしうはあらず(悪くはない)
5

かかるかかる消息せうそこたまさかたまさかなるも、けしきことかな。(源氏物語)

【訳】このようなお手紙が稀であるのも、異様なことだなあ(=納得がいかないことだなあ)。

意味・ニュアンス: 異し(異様だ、不都合だ)

📝 練習問題

傍線部の「けし」の現代語訳として最も適切なものを選んでください。

1. やまおくに、ひとまぬいほりあり。いと怪し。(宇治拾遺物語)

普通ではない
不思議だ・気味が悪い
悪くはない
不都合だ

解説:

誰も住まない庵が山の奥にあるという状況は、神秘的であり、また少し気味の悪さも感じさせます。「怪し」の基本的な意味です。

2. あるじもてなしもてなし、いとけし。(徒然草)

すばらしい
気味が悪い
異様だ・普通ではない
悪くはない

解説:

主人の客に対する扱いが「普通ではない」「異様だ」と評価している文脈です。これが良い意味か悪い意味かはさらに文脈が必要ですが、ここでは「通常と異なる」という「異し」の意味が中心です。

3. このこのふみさまけしうはあらずかし。(源氏物語)

まったく変だ
不気味である
不思議である
悪くはないだろう

解説:

「けしうはあらず」は「そう異様というわけではない」という意味から「悪くはない」「まあまあだ」という控えめな肯定を表す定型表現です。「かし」は念押しの終助詞。

4. よるいたくけてかどたたく。いとけしからず。(枕草子)

とんでもない・不都合だ
不思議だ
悪くはない
気味が悪い

解説:

「けしからず」は、「異し」の未然形「けしから」に打消の助動詞「ず」が付いた形ですが、これで一つの連語として「とんでもない」「もってのほかだ」という強い非難や不快感を表します。「異様なほど良くない」が原義です。

5. あめあしけしうはしる。(更級日記)

不思議に
悪くなく
異様に・変に
気味悪く

解説:

「けしう」は「けしく」のウ音便で連用形。「走る」という動詞を修飾しています。雨の降り方が普通ではない、異様な様子で激しく降っていることを表します。