「月のかつら男の『おはす』と聞き、帝の御前にて人々が『おはします』様を見る。敬意を込めてその存在を描写する言葉」
📖 意味と用法
おはす および おはします は、身分の高い人に対して用いられる尊敬語で、「いらっしゃる」「おいでになる」という意味が中心です。動作の主体を高める働きをします。「おはします」は「おはす」に尊敬の補助動詞「ます」が付いた形で、一般に「おはす」よりも敬意の程度が高いとされます。
- 【本動詞】いらっしゃる、おいでになる:
「あり」(ある、いる)や「をり」(いる、滞在する)の尊敬語として、人や神仏などが存在すること、またはある場所にいることを表します。例:その山に聖人おはすと聞く。(その山に聖人がいらっしゃると聞く。)
例:中宮は内におはしますか。(中宮様は御殿の内にいらっしゃいますか。) - 【本動詞】(尊敬する人が) 行く、来る、おいでになる:
「行く」や「来(く)」の尊敬語として、尊敬する人が移動することを表します。文脈から「行く」「来る」のどちらの意味かを判断します。例:帝、東宮の御方へおはしたり。(帝は、東宮のいらっしゃる方へおいでになった。) - 【補助動詞】~ていらっしゃる、~ておいでになる:
他の動詞の連用形に付いて、「~ておはす」「~ておはします」の形で、その動作をする人を敬う意味を加えます。例:絵をかきおはす。(絵を描いていらっしゃる。)
例:御格子も下ろさせ給ひて、泣きおはします。(御格子もお下ろしになられて、泣いていらっしゃる。)
これらの言葉が使われている場合、誰から誰への敬意か、本動詞か補助動詞かを見極めることが読解のポイントです。
① いらっしゃる の例
大臣もおはしけり。(源氏物語)
(大臣もいらっしゃった。)
② 行く・来る の例
親王、帥の宮へおはして、物語せさせ給ふ。(伊勢物語)
(親王は、帥の宮へおいでになって、お話をさせなさる。)
③ ~ていらっしゃる の例
物語などして集まりおはす。(源氏物語)
(お話などをして集まっていらっしゃる。)
🕰️ 語源と歴史
「おはす」の語源は諸説ありますが、「おほ(大・多)+あり+す(為)」や「おほ(大)+います(坐す)」などの複合語が変化したものと考えられています。「おほ」は接頭語で「大いに」「立派に」といった意味を添え、「あり」や「います(いらっしゃる)」といった存在を表す動詞に付いて尊敬の意味を持つようになったとされます。
「おはします」は、この「おはす」の連用形「おはし」に、さらに尊敬の意を強める補助動詞「ます」が付いた形です。「ます」自体も「いらっしゃる」という意味を持つ尊敬語であり、これが付くことで「おはす」よりも一般に敬意の度合いが高まります。
これらの語は、平安時代以降、宮廷や貴族社会における敬語表現として頻繁に用いられ、物語文学や日記文学などで高貴な人物の行動を描写する際に欠かせない言葉となりました。主語が誰であるかによって、これらの尊敬語の使い分けがなされることも特徴の一つです。
📝 活用形と関連語
「おはす」の活用(サ行変格活用)
活用形 | 語幹 | 語形 |
---|---|---|
未然形 | おは | せ |
連用形 | し | |
終止形 | す | |
連体形 | する | |
已然形 | すれ | |
命令形 | せよ |
「おはします」の活用(サ行四段活用)
活用形 | 語幹 | 語形 |
---|---|---|
未然形 | おはしま | さ |
連用形 | し | |
終止形 | す | |
連体形 | す | |
已然形 | せ | |
命令形 | せ |
関連語
- ます (尊敬の補助動詞・四段活用) – 「おはす」に付いて「おはします」となる。単独でも「いらっしゃる」の意。
例:上もましけるに。(帝もいらっしゃった時に。)
🔄 類義語(尊敬語)
「いらっしゃる」系の類義語
「行く・来る」の尊敬語
※敬意の対象や程度によって使い分けられます。「います」「まします」も「おはす」「おはします」とほぼ同義で使われます。
↔️ 対応する一般動詞
「おはす」「おはします」は尊敬語であるため、対応する非尊敬語(一般動詞)が存在します。
「いらっしゃる」に対して:
「行く・来る」に対して:
🗣️ 実践的な例文(古文)
竹の中におはする人を見つけ奉りてこそ、心も慰め侍れ。(竹取物語)
【訳】竹の中にいらっしゃる方を見つけ申し上げてこそ、心も慰められます。
かぐや姫、いづ方へかおはしぬるらむ。(竹取物語)
【訳】かぐや姫は、どちらの方へ行ってしまわれたのだろうか。
上は内裏におはしますと聞こしめして、参り給ひにけり。(源氏物語)
【訳】帝は御殿にいらっしゃるとお聞きになって、参上なさった。
御簾の内より、人知れず泣きおはします声、いとあはれなり。(枕草子)
【訳】御簾の内から、人知れず泣いていらっしゃる声が、たいそうしみじみと悲しい。
后の宮も渡りておはしましけるなるべし。(大鏡)
【訳】皇后宮もお渡りになっていらっしゃったのであろう。
📝 練習問題
傍線部の「おはす」「おはします」の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 仏は岩の中にこそおはしけれ。(宇治拾遺物語)
解説:
仏が岩の中に「存在する」ことを尊敬語で表しています。「いらっしゃった」が適切です。
2. 院の御所へ人々おはして、歌など詠み給ふ。(十訓抄)
解説:
「院の御所へ」と方向が示されているので、移動を表します。文脈から「行かれて」が適切です。「お出かけになって」も良いでしょう。
3. 女院は、猶物もきこしめさず、ふしおはします。(平家物語)
解説:
「ふし(伏し)」という動詞の連用形に「おはします」が付いているので、補助動詞の用法です。「伏していらっしゃる」と訳します。
4. 今日は宮には誰々かおはしますらむ。
解説:
「宮には」と場所が示され、誰がそこに「存在する」かを問うているので、本動詞「いらっしゃる」の意味です。推量の助動詞「らむ」が付いています。
5. ただ今一人のみ子を儲けて、かしづきおはす。(宇津保物語)
解説:
「かしづき(大切に世話をし)」という動詞の連用形に「おはす」が付いているので、補助動詞の用法です。「大切に育てていらっしゃる」と訳します。