「希望の光が『たえて』見えないように、この言葉は完全な否定や断絶を表します」
📖 意味と用法
たえて~打消 は、下に打消の語(「ず」「なし」「じ」「まじ」など)を伴って、「まったく~ない」「少しも~ない」「決して~ない」といった全面的な否定を表す重要な副詞的表現です。動詞「絶ゆ(たゆ)」の連用形「たえ」に接続助詞「て」が付いた形が固定化したものと考えられます。
- 【全面否定】まったく~ない、少しも~ない: ある状態や行為、存在などが完全に、あるいは少しも存在しないことを示します。
- 【強い否定】決して~ない、断じて~ない: 意志や可能性を強く否定する際に用いられます。
「たえて」が出てきたら、必ず下に打消の語が呼応しているか確認し、文全体で強い否定の意味を捉える必要があります。「たえて」単独で「すっかり」などの意味になることも稀にありますが、古文では打消を伴う用法がほとんどです。
用例1
夢にも人に見えず、音もせず、たえて物言ふことなかりけり。(伊勢物語)
(夢にも人に見られることもなく、音も立てず、まったくものを言うことがなかったそうだ。)
用例2
風波やまねば、たえて帰り着くべき期もなし。(土佐日記)
(風や波がやまないので、まったく帰り着けるはずの時もわからない。)
用例3
このごろ都に帰る人、たえて声もせず。(更級日記)
(このごろ都へ帰る人は、まったく便りもない。)
🕰️ 語源と背景
「たえて」は、ヤ行下二段活用動詞「絶ゆ(たゆ)」の連用形「たえ」に、接続助詞「て」が付いた形「たえ・て」が固定化し、副詞として用いられるようになったものです。「絶ゆ」には、「途絶える」「なくなる」「終わる」といった意味があります。
この「途絶えてしまって」という原義から、「(何かが)すっかりなくなって、結果として全く~ない」「(連続していたものが)途切れて、もう決して~ない」という強い否定のニュアンスが生じました。
したがって、「たえて~打消」の形は、単なる否定ではなく、何らかの断絶や完全な不在を背景に持つ表現と言えます。
📝 関連する動詞の活用と派生
動詞「絶ゆ」(ヤ行下二段活用)
活用形 | 語形 | 接続 |
---|---|---|
未然形 | たえ | ず、む、ん |
連用形 | たえ | て、けり、たり |
終止形 | たゆ | 言い切り |
連体形 | たゆる | 体言、とき |
已然形 | たゆれ | ば、ども |
命令形 | たえよ | – |
※副詞「たえて」はこの連用形「たえ」に接続助詞「て」が付いたものです。
「たえて」の用法
- 呼応の副詞:
下に打消の語(ず、じ、まじ、なし等)を伴い、「まったく~ない」と訳す。
- (稀)副詞:
打消を伴わず、「すっかり」「完全に」などの意味を表すこともあるが、古文では稀。
🔄 類義語(呼応の副詞として)
「まったく~ない」「少しも~ない」系の類義語
「決して~ない」系の類義語(禁止・強い否定のニュアンス)
※これらの副詞も下に打消の語を伴って使われます。
↔️ 反対の概念
「たえて~ない」が完全な否定を表すため、直接的な一語の反対語は特定しにくいですが、「常にある」「必ず存在する」といった状態が対極にあると考えられます。
🗣️ 実践的な例文(古文)
跡を見れば、たえて人の通ひたる様もなし。(徒然草)
【訳】足跡を見ると、まったく人が通った様子もない。
京には、たえて聞こえぬ鳥の、色々の声して鳴く。(更級日記)
【訳】京では、まったく聞いたことのない鳥が、色々な声で鳴いている。
物の心もたえて知らず、所からの心細さのみ思ひ続けられて、(源氏物語)
【訳】物の道理もまったくわからず、場所柄の心細さばかりが思い続けられて、
年ごろ音もせざりつる女の、たえて忘れまじきにやありけむ。(大和物語)
【訳】長年便りもなかった女のことが、決して忘れられないのであろうか。
かの国には、たえて米なかりければ、(今昔物語集)
【訳】その国には、まったく米がなかったので、
📝 練習問題
傍線部の「たえて」と呼応する打消の語を指摘し、現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 人の言もたえて入らず。(枕草子)
解説:
「たえて」は打消の助動詞「ず」と呼応しています。「入らず」は「聞こえない」や「入ってこない」の意味。したがって、「人の言うこともまったく聞こえない(耳に入らない)」となります。
2. 消息もたえてせざりければ、(後略)(和泉式部日記)
解説:
「たえて」は打消の助動詞「ず」の連用形「ざり」と呼応しています。「せざりければ」は「しなかったので」の意味。したがって、「便りもまったくしなかったので」となります。
3. 雪の降り積みて、たえて道も見えず。(源氏物語)
解説:
「たえて」は打消の助動詞「ず」と呼応しています。「見えず」は「見えない」の意味。雪が降り積もった結果、「まったく道も見えない」という状況を表します。
4. 我は術をたえて知ら( )。
解説:
「たえて」は下に打消の語を伴います。選択肢の中で打消の助動詞は「ず」と「じ」ですが、ここでは単純な打消を表す「ず」が適切で、「知らず」として「まったく知らない」という意味になります。
5. 月影もたえて見えぬ夜なり。(源氏物語)
解説:
「たえて」は打消の助動詞「ぬ」(「ず」の連体形)と呼応し、「まったく~ない」の意味を表します。したがって、「月の光もまったく見えない夜である」と訳すのが適切です。