ふと心が温かくなるような、そんな親しみや慕わしさを「なつかし」と表現します。
意味と用法
なつかしは、シク活用の形容詞で、心が対象に引きつけられ、親しみを感じるさまを表します。現代語の「懐かしい」と重なる意味もありますが、古文ではより広く「好ましい」「親しみを感じる」という意味で使われます。
- 【心がひかれる・親しみやすい】心がひかれる、親しみを感じる、好ましい、魅力的だ:
人や物事に対して、自然と心が引き寄せられ、親近感や好意を抱く様子。これが最も基本的な意味です。 - 【昔が思い出されて慕わしい・懐かしい】(過去のことが)思い出されて慕わしい、懐かしい:
現代語の「懐かしい」に近い意味。過去の出来事や人物を思い出して、しみじみとした慕情を感じる様子。
文脈から、対象が現在のものか過去のものかを見極め、どちらの意味合いで使われているかを判断することが大切です。
心がひかれるの例
なつかしき人の声。(枕草子)
(親しみを感じる人の声。)
懐かしいの例
過ぎにし方なつかしくおぼえければ(伊勢物語)
(過ぎ去った昔が懐かしく思い出されたので)
語源と歴史
「なつかし」は、動詞「懐く(なつく)」の形容詞形です。「なつく」は、人や動物が慣れ親しんで近づく、心惹かれるという意味を持ちます。
この「なつく」という行為から生じる感情、つまり「慣れ親しんで心が引かれる」「好ましい」といった気持ちを表すのが「なつかし」です。
そこから、過去の慣れ親しんだ事柄や人物を思い出して心が引かれる、すなわち「懐かしい」という意味も派生しました。
活用形と関連語
「なつかし」の活用(形容詞シク活用)
活用形 | 語形 | 接続例 |
---|---|---|
未然形 | なつかしから | ず |
連用形 | なつかしく / なつかしう | て、なり、思ふ |
終止形 | なつかし | 。(言い切り) |
連体形 | なつかしき | 人、こと |
已然形 | なつかしけれ | ば、ども |
命令形 | なつかしがれ | (まれ) |
※連用形「なつかしう」はウ音便化した形です。
関連語
- なつく(懐く) (動詞カ行四段) – 慣れ親しむ、心が引かれる
- なつかしむ (動詞マ行四段) – 親しみを感じる、懐かしく思う
- なつかしげなり (形容動詞) – 親しみやすそうだ、懐かしそうだ
類義語
心がひかれる・好ましい
懐かしい
反対の概念
「なつかし」が親しみや好意を表すのに対し、「疎遠」「不快」といった状態が対極にあります。
実践的な例文(古文)
ただ春の夜の夢のごとしと思へど、なつかしう、折に触れては恋しきなり。(源氏物語)
【訳】まるで春の夜の夢のようだと思うけれど、(その時のことが)懐かしく、機会があるたびに恋しいのである。
いとなつかしう美しき人なり。(枕草子)
【訳】たいそう親しみやすくかわいらしい人である。
古き歌どもなつかしきも多かり。(徒然草)
【訳】古い歌なども心ひかれる(趣深い)ものも多い。
この笛の音こそ、いとなつかしけれ。(源氏物語)
【訳】この笛の音色は、たいそう心ひかれるものだ。
昔の物語など読みても、その人の心ばへなつかしきは、今も変はらず。(紫式部日記)
【訳】昔の物語などを読んでも、その登場人物の心遣いが好ましいのは、今も変わらない。
練習問題
傍線部の「なつかし」の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. かの人の語り口、いとなつかし。
解説:
人の「語り口」に対する評価なので、「親しみやすい」または「好ましい」が適切です。
2. 故郷の景色を見れば、なつかしうおぼえけり。
解説:
「故郷の景色」を見て感じることなので、過去を思い出して慕わしく思う「懐かしく」が適切です。
3. 鶯の声、春の朝にはなほなつかし。
解説:
鶯の声が春の朝には「なほ(いっそう)」どう感じられるか、という文脈です。ここでは「心ひかれる」「風情がある」といった好ましい感情が適切です。
4. この文の筆跡、誰が書きしにか、いとなつかしう見ゆ。
解説:
手紙の筆跡が「いと(たいそう)~見ゆ」とあるので、その筆跡に「魅力的に」感じられる、または「好ましく」感じられるという意味が適切です。
5. 年月を経て見る故郷は、何もかもなつかし。
解説:
「年月を経て見る故郷」という状況から、過去を思い出して慕わしく思う「懐かしい」という意味が最も適切です。