目に鮮やかな色彩の輝き、ふわりと漂う香り、そして人々の心に広がる気品。それが「にほふ」世界です。
意味と用法
にほふ(匂ふ)は、ハ行四段活用の動詞で、現代語の「におう」が主に嗅覚に関するのに対し、古文では視覚的な美しさ、特に色彩の鮮やかさを表すのが中心です。
- 【美しく色が照り映える】美しく色が照り映える、美しく染まる、鮮やかに見える:
これが最も重要な意味。花や紅葉、衣服などが鮮やかな色で輝いている様子を表します。 - 【(香りが)ただよう・におう】(良い香りが)ただよう、香る:
現代語と同じく、嗅覚に関する意味。多くは良い香りを指します。 - 【(恩恵などが)あたりに及ぶ・栄える】(美しさ・気品・名声・恩恵などが)あたりに満ち広がる、輝くように栄える:
抽象的なものが周囲に影響を与え、華やかに見える様子。人の魅力や威光が輝き出るさま。
「にほひ(名詞)」の形も重要で、「美しい色つや」「香り」「気品・威光」などの意味があります。文脈から視覚・嗅覚・抽象のどれを指すか判断しましょう。
色が照り映える例
紅葉のにほふ山。(古今和歌集)
(紅葉が美しく色づいている山。)
香りがただよう例
梅の花の香りにほへり。(万葉集)
(梅の花の香りが漂っている。)
栄える・輝く例
内よりにほひいできたる様。(源氏物語)
(内面から輝き出てくるような様子。)
語源と歴史
「にほふ」の「に」は丹(に=赤色の顔料)、「ほ」は穂(ほ=稲穂のように際立って見えるもの)を表すとも言われ、元々は赤く美しい色が際立って見えることを意味したと考えられています。
この視覚的な美しさから、良い香りが漂うこと(嗅覚)、さらには人の内面的な美しさや気品、威光などが外に現れ出る(抽象的)という意味へと広がりました。
上代から使われ、特に和歌などで美しさを表現する重要な言葉でした。
活用形と関連語
「にほふ」の活用(ハ行四段活用)
活用形 | 語形 | 接続例 |
---|---|---|
未然形 | にほは | ず、む |
連用形 | にほひ | て、けり、ます |
終止形 | にほふ | 。(言い切り) |
連体形 | にほふ | 時、花 |
已然形 | にほへ | ば、ども |
命令形 | にほへ | 。(命令) |
関連語
- にほひ(匂ひ) (名詞) – 美しい色つや、香り、気品、威光
- にほはす(匂はす) (動詞ハ行四段) – 美しく染める、香らせる、輝かせる
類義語
美しく色が照り映える
香りがただよう
反対の概念(美しさに対して)
「にほふ」が視覚的な美しさや良い香りを表すのに対し、「色あせる」「悪臭がする」といった状態が対極にあります。
実践的な例文(古文)
桜の花、色々ににほひて咲き乱れたり。(古今和歌集)
【訳】桜の花が、色とりどりに美しく照り映えて咲き乱れている。
御衣の香、部屋の中ににほへり。(源氏物語)
【訳】お召し物の香りが、部屋の中に香っている。
春の野に霞たなびき、うら悲し。この夕影に鶯鳴くべしや。…紅の梅の花、色も香もにほひたる。(土佐日記)
【訳】春の野に霞がたなびき、なんとなく悲しい。この夕暮れの光の中に鶯は鳴くだろうか。…紅色の梅の花が、色も香りも美しく照り映えている(また、香っている)。
宮の御威光、世ににほひて、人々びと恐れ敬ふ。(栄花物語)
【訳】宮のご威光が、世の中に輝き出て、人々は恐れ敬う。
山吹の花、水の上ににほへる影、いとをかし。(枕草子)
【訳】山吹の花が、水の上に美しく照り映えている影は、たいそう趣深い。
練習問題
傍線部の「にほふ」の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 紅の衣、朝日ににほひて、いと美し。
解説:
「紅の衣」が「朝日に」どう見えるか、という文脈です。「いと美し」ともあるので、視覚的な美しさ、特に色が鮮やかに「美しく照り映えて」いる様子が適切です。
2. 沈の香、風に乗りてにほふ。
解説:
「沈の香(沈香という香木の良い香り)」が「風に乗りて」どうなるか、という文脈なので、嗅覚に関する「香りが漂う」が適切です。
3. その人の徳、国中ににほひ渡る。
解説:
人の「徳」という抽象的なものが「国中に」広がる様子なので、「名声が広がる」や「威光が輝き渡る」といった意味が適切です。
4. 夕日ににほへる雲の美しさ。
解説:
「夕日に」雲がどう見えるか、という視覚的な描写なので、「美しく照り映えている」が最も適切です。
5. 若君の御姿、光満ちてにほふばかりなり。
解説:
若君の「御姿」が「光満ちて」どうであるか、という描写です。ここでは、内面から発するような美しさや気品が「輝くように美しい」様子を表しています。