「美しい月を見て和歌を詠む人のように、『こころある』人は、物事の奥深さや風情を理解し、思慮深い行動をとります」
📖 意味と用法
こころあり は、ラ行変格活用の動詞で、「心」が十分に備わっている状態を指し、文脈によって多様な肯定的な内面性を表す重要な古文単語です。
- 【思慮分別】思慮分別がある、物の道理がわかる、賢明だ: 物事を深く考え、道理をわきまえているさま。理性や知性が豊かであることを示します。
- 【情趣・風流】情趣を解する、風流心がある、趣を理解する: 自然の美しさや芸術の良さが分かり、それを楽しむことができる感性を持っているさま。
- 【情け・思いやり】思いやりがある、情け深い、配慮がある: 他人の気持ちを察し、親切に振る舞うことができる人間的な温かさを持っているさま。
- 【奥ゆかしさ・趣】(和歌などが)奥ゆかしい趣がある、深い内容がある、しみじみとした味わいがある: 表面的な美しさだけでなく、内面に深い情感や趣を含んでいるさま。主に芸術作品に対して使われます。
思慮分別、風流心、思いやり、奥深い趣がキーワードです。対義語「こころなし」と比較すると意味が明確になります。
思慮分別がある の例
こころある人は、言葉少なにして行ひを重んず。(徒然草)
(思慮分別のある人は、口数を少なくして行動を重んじる。)
情趣を解する の例
月を見てこころあらむ人は、涙も落ちぬべし。(古今和歌集)
(月を見て情趣を解するような人ならば、涙も落ちるにちがいない。)
思いやりがある の例
こころある友の慰めこそうれしけれ。(源氏物語)
(思いやりのある友人の慰めは本当にうれしいことだ。)
🕰️ 語源と歴史
「こころあり」は、名詞「心(こころ)」に、存在を示すラ行変格活用の動詞「あり」が kết合した複合動詞です。「心」は現代語でも「精神」「感情」「意志」「思いやり」「趣」など多様な意味を持ちますが、古語では特に「思慮分別」「情趣を解する能力」「他人への配慮」といった、人間が持つべき望ましい内面性を指すことが多くありました。
したがって、「こころあり」は、そのような「心」が十分に備わっている状態を表し、知性・感性・人間性の豊かさを含意します。単に「意識がある」という意味ではなく、それが良い方向に働いている、質の高い精神活動が行われているという肯定的な評価を伴います。
平安時代の貴族社会では、和歌や管弦、自然の美を理解し、他人に対して細やかな配慮ができる人物が理想とされたため、「こころある人」は最高の褒め言葉の一つでした。
📝 活用形と派生語
「こころあり」の活用(ラ行変格活用)
活用形 | 語形 | 接続例 |
---|---|---|
未然形 | こころあら | ず、む |
連用形 | こころあり | て、けり、たり |
終止形 | こころあり | 言い切り |
連体形 | こころある | 人、時、こと |
已然形 | こころあれ | ば、ども |
命令形 | こころあれ | (まれ) |
※「あり」はラ行変格活用の代表的な動詞です。
派生語・関連語
- こころありげなり (形容動詞ナリ活用) – 思慮深そうだ、風情がありそうだ、何か意味ありげだ
こころありげなる気色にて見る。(源氏物語)
(何か意味ありげな様子で見る。) - こころなし (形容詞ク活用) – 思慮分別がない、情趣を解さない、思いやりがない、無風流だ
こころなき身にもあはれは知られけり。(西行法師)
(情趣を解さない私のような者にも、しみじみとした趣は感じられることだなあ。)
🔄 類義語
思慮分別がある・賢明だ
情趣を解する・風流心がある
思いやりがある・情け深い
💬 現代語との関連
現代語の「心がある」は、古語の「こころあり」の持つ広い意味の一部、特に「思いやりがある」「情けがある」という意味合いで使われることが多いです。また、「趣がある」「風情がある」という意味でも、「心憎い演出」のように「心」が使われることがあります。
古語の「こころあり」が持つ「思慮分別がある」「物の道理がわかる」といった知的な側面は、現代語の「心がある」ではあまり強調されません。
🗣️ 実践的な例文(古文)
いとこころある人の御返事なり。(枕草子)
【訳】たいそう思慮分別のある(または、情趣を解する)方のお返事である。
梅の花の香にぞ、昔の人の袖の香はこころあらむ。(古今和歌集)
【訳】梅の花の香りによって、昔の人の袖の香りは情趣が感じられるだろうか(しみじみと思い出されるだろうか)。
こころあらむ友もがなと、都の恋しきにも。(伊勢物語)
【訳】情趣を解する(または、思いやりのある)友人がほしいなあと、都が恋しいにつけても(思う)。
この歌は詞浅く聞こゆれども、こころありて優なり。(古今和歌集序)
【訳】この歌は言葉が浅く聞こえるけれども、奥ゆかしい趣があって優美である。
何事にもこころあらむ人は、あながちに人の振る舞ひをまねぶべからず。(徒然草)
【訳】何事においても思慮分別のある人は、むやみに他人の振る舞いを真似るべきではない。
📝 練習問題
傍線部の「こころあり」の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 虫の音にもこころあらむ人は、秋のあはれを知るべし。
解説:
虫の音にも風情を感じ、秋のしみじみとした趣を理解できる人、という意味なので「情趣を解する」が適切です。
2. かくこころある御はからひ、かたじけなくぞ侍る。
解説:
「御はからひ(お取り計らい、ご配慮)」とあるので、相手の親切な計らいに感謝している文脈です。「思いやりのある」が適切です。
3. 若き人は、まだこころありとも見えざりき。
解説:
若い人は、まだ十分に物の道理をわきまえているようには見えなかった、という意味です。「思慮分別がある」が適切です。
4. この歌の姿、まことにこころありて作れるものなり。
解説:
和歌の姿(詠みぶり)が、本当に深い趣があって作られたものである、という意味です。「奥ゆかしい趣があって」が適切です。
5. 風の音にも、雨の響きにも、こころある人は物をこそ思へ。
解説:
風の音や雨の響きにも、趣を感じ取って物思いにふけることができる人、という意味合いなので「情趣を解する」が最も適切です。