「病の友を『ねんごろに』看病するように、この言葉は相手を思う深い心遣いや、物事への真剣な取り組みを表します」
📖 意味と用法
ねんごろなり は、ナリ活用の形容動詞で、人に対する態度や物事への取り組み方などが、心が込もっていて丁寧であるさまを表す重要な古文単語です。「懇ろなり」と漢字で書かれることもあります。
- 【丁寧・親切】心を込めている、丁寧だ、親切だ、手厚い: 人への対応やもてなし、物事の扱い方などが、誠意に満ちていて手厚いさまを表します。
- 【親密】親密だ、仲が良い、情愛が深い: 人と人との関係が密接で、互いに深い愛情や信頼を寄せているさまを表します。
- 【熱心・入念】熱心だ、念入りだ、一生懸命だ、大切だ: 物事に真剣に取り組み、細部まで注意を払って行うさまを表します。また、何かを大切に思う気持ちも示します。
誠実さ、丁寧さ、親密さ、熱心さがキーワードです。基本的に肯定的な意味で使われます。
丁寧・親切 の例
客にねんごろなるもてなしをす。(徒然草)
(客に対して心のこもった(丁寧な)もてなしをする。)
親密 の例
二人はことのほかねんごろなる中なりけり。(伊勢物語)
(二人は格別に親密な仲であった。)
熱心・入念 の例
ねんごろに仏道を修行す。(今昔物語集)
(熱心に仏道を修行する。)
🕰️ 語源と歴史
「ねんごろなり」の語源は、「念(ねん)」に「比(ころ)」がつき、それに形容動詞の語尾「なり」が付いたものと考えられています。「念」は心に深く思うこと、一心に祈念することを意味し、「比」はその状態や様子を表します。
つまり、「心に深く思う様子である」というのが元々の意味で、そこから人に対して心がこもっている「親切だ」「丁寧だ」、関係が深い「親密だ」、物事に一心に取り組む「熱心だ」「念入りだ」といった意味に発展しました。
平安時代から鎌倉時代にかけて、人の行動や態度、人間関係の深さを示す言葉として広く用いられました。現代語の「懇ろ」も、この古語の意味合いを引き継いでいます。
📝 活用形と派生語
「ねんごろなり」の活用(形容動詞ナリ活用)
活用形 | 語形 | 接続例 |
---|---|---|
未然形 | ねんごろなら | ず |
連用形 | ねんごろなり / ねんごろに | て、けり、他の用言 |
終止形 | ねんごろなり | 言い切り |
連体形 | ねんごろなる | 時、人、こと |
已然形 | ねんごろなれ | ば、ども |
命令形 | (ねんごろなれ) | (まれ) |
※連用形「ねんごろに」は副詞としても用いられます。
派生語
- ねんごろ(懇ろ) (名詞) – 親切なこと、丁寧なこと、親密なこと。
かれがねんごろに感じて。(平家物語)
(彼の親切に感動して。) - ねんごろぶ(懇ろぶ) (動詞バ行四段) – 親しくする、親密に交際する。
互にねんごろび給ふ。(源氏物語)
(互いに親しくしなさる。)
🔄 類義語
心を込めている・丁寧だ・親切だ
親密だ・仲が良い
熱心だ・念入りだ
↔️ 反対の概念
「ねんごろなり」が「心が込もっている」状態を示すため、反対の概念としては「いい加減である」「不親切である」「疎遠である」といった状態が考えられます。
🗣️ 実践的な例文(古文)
かの人に対し奉りては、ねんごろに仕うまつる。(源氏物語)
【訳】あの方にお仕え申し上げるにあたっては、心を込めて(丁寧に)お仕えする。
年ごろねんごろに語らひし友なれば、忘れがたし。(大和物語)
【訳】長年親密に語り合った友人なので、忘れがたい。
ねんごろに祈り申せども、験なし。(竹取物語)
【訳】熱心に祈り申し上げたけれども、効果がない。
文の詞、いとねんごろなる様なり。(枕草子)
【訳】手紙の言葉遣いが、たいそう丁寧な様子である。
上もねんごろにとぶらひ申し給ふ。(平家物語)
【訳】帝も手厚くお見舞い申し上げなさる。
📝 練習問題
傍線部の「ねんごろなり」の現代語訳として最も適切なものを選んでください。
1. 宮仕へする人を、親はねんごろに思ひてかしづくなり。
解説:
宮仕えする人を、親は大切に思って世話をする、という意味です。「心を込めて」世話をする、あるいは「大切に」思う気持ちが込められています。
2. 長年ねんごろなりし友との別れは悲し。
解説:
長年親しくしていた友人との別れは悲しい、という意味です。「親密だった」仲の良さを表します。
3. 仏の道をねんごろに修行する人ぞ尊き。
解説:
仏の道を一生懸命に修行する人は尊い、という意味です。「熱心に」または「念入りに」が適切です。
4. 客人に対して、ねんごろなる言葉をかける。
解説:
客人に対して、心のこもった丁寧な言葉をかける、という意味です。「丁寧な」が適切です。
5. この寺の建立には、ねんごろなる願ありけり。
解説:
この寺の建立には、心のこもった(篤い)願いがあった、という意味です。単に熱心というだけでなく、深い思いが込められているニュアンスです。「心のこもった(篤い)」が適切です。